新宿駅から高田馬場駅まで散歩しました。
途中に見応えのあるガード下アート(壁画)がありましたので書き残します。
歩いて約3km のんびり鑑賞しながら1時間くらいのコースです。
第一大久保ガード下
(職安通り、JR山手線等の高架下歌舞伎町1-30-3付近)
西武新宿線の新宿駅から歩いて5分ぐらいで着きます。
2017年に「新宿クリエイターズ・フェスタ2017」の期間中に、ストリートアーティストのMOT8(モトエイト)さんが約1か月かけて描かれたものらしいです。
ガード下にこれだけの絵は、日本的な感じとアメリカンなPOPさが混ぜ合わさり楽しませてくれます。
浮世絵の歌舞伎役者と北斎を思わせる荒波に、迫力ある龍(驚いてる?)ひげの生えた猿それを見る正義の味方?
パッと見て迫力に驚き、じっくり見てなんだこの組み合わせ?と思せるおもしろさがあります。
JR大久保駅(新宿区百人町)北口
大久保駅の北口を出てすぐあります。
アジアンテイストな街、コリアンタウンとして知られる大久保でこの壁画は??。
壁画の横の大久保壁画制作委員会の説明によると
百人町の由来となる徳川家を警護する鉄砲隊が百人組と住んでいたことと
その百人組が平時に余暇を利用してツツジ栽培を行い当時は評判だったこと
を伝えているようです。
壁画 大久保壁画制作委員会 文より
江戸幕府鉄砲組百人隊と大久保つつじ
天正十八年(1590年)徳川家康が江戸入府の際、内藤氏らに率いられた
伊賀組などの鉄砲同心は、の西の警備にあたるため駐屯しました。
現在の百人町に定住しました。鉄砲組は同心百人を配属されたので百人組と呼ばれ、
百人町の由来になりました。平時は江戸城の警備にあたり
将軍が寛永寺、日光東照宮などに参詣する際には警備にあたりました
大久保村付近は、つつじの自生地であったされますが、鉄砲組は定住後、
屋敷内で余暇を利用してつつじの栽培を行いました。
やがて名所として江戸で評判となり「江戸名所図」「江戸名所花暦」「江戸名所花暦」
などに紹介されています。
つつじ栽培は、明治維新以後、一時衰退しましたが、明治十六年に大久保躑躅園が開園し、
一万株ものつつじが栽培され明治時代には花見客で賑わいました。
明治天皇が、大久保つつじの短歌を詠まれ
それを記念した歌碑が皆中稲荷神社に建立されています。
その後、日比谷公園ができると大部分のつつじが移され、
町の発展の歴史と共に姿を消していきました。
しかし、「大久保つつじ」への愛着は強く戦後になって毎年四月、ゆかりの深い皆中稲荷神社
において地元商店街の二世会の若者たちによって「大久保つつじ祭り」
が行われるようになり、昭和四十七年には新宿区の花に指定されました。
また、昭和三十六年からは「江戸幕府鉄砲百人隊出陣行列の儀」が地元有志の尽力により行われるようになり、
平成十四年に新宿区無形文化財として登録されました。
高田馬場駅ガード下
早稲田口を出てすぐあります。JR線側と西武新宿線側の2ヶ所設置してあります。
J Rの発着音は”鉄腕アトム”です。
手塚治虫先生といえば、トキワ荘で豊島区のイメージでしたが手塚プロダクションは高田馬場にあるようです。
鉄腕アトムも「西暦2003年4月7日」に高田馬場で誕生という設定です。
その縁で壁画が誕生したみたいです。
この壁画もじっくり見ると、1日の生活、春夏秋冬、高田馬場の歴史を楽しみながら見ることができます。
1日の流れ;体操している人、通学している人など アトムによる案内・紹介
JR側の壁画全景
壁画の説明文より
「J R側」壁画に込められたメッセージ
壁画の構成は絵巻風に朝昼夕夜の1日の流れと、春夏夏季冬を組み合わせ、シーン毎に人々の暮らしと風物を織り込んで描いています。
春は朝日が差し込む柔らかな情景で、豊かな自然とそこに住む動物だちや、元気いっぱいに登校する子供たちが主役となっています。
夏は燦々と太陽が注ぐ中、澄み渡る神田川はリサイクルと自然の循環の力によって、その清さをいつまでも保っています。鮎も戻ってきました。
秋は色づく紅葉の中、元気に美嘉氏が練り歩きます。担ぎ手の誰もが満面の笑みを浮かべています。
冬は大地にしっかりと根を下ろしたもみの木の頂点に、希望の光が輝き、夜空からは、それぞれの夢を詰め込んだプレゼントが舞い降りてきます。
西武新宿線側の壁画
夏目漱石、小泉八雲、江戸川乱歩も描かれています。
👉
高田馬場は馬術の練習場があった!
現在の西早稲田三丁目一・二・十二・十四番付近が江戸時代に馬術の練習場があったようです。
近くにある穴八幡神社に奉納する流鏑馬が行われ、将軍の供覧に入れたところともあるので歴代の徳川将軍はこの辺りを行き来きしていたのでしょう。
松並木がつくられ茶屋が立ち並んだようで昔から人が集まる場所であったようです。
![]() |